アイヌ民族から問いかけられるもの

秋葉原の事件が連日メディアを騒がせていますが、代わり映えのしない見方を押しつけてくるばかりで無能さを晒しているように思うばかりだ。ただ今回の事件は若者の不安定雇用の問題を避けては通れないように思うので重罰化の傾向を強める世論が「吊して済む問題ではない」ことに気づく契機となってくれることを望むばかりです。
しばらく更新をしませんでした。内にこもっていたというか、一つ一つのことにコメントをつけていく気持ちになれなかったもので…。 その原因になったものがいくつかあるのですが、一つは実録「連合赤軍」という若松孝二監督の映画を観たこと、そして続けて読んだ三冊の本、カーシム・トゥルキ著「ハロー、僕は生きてるよ。」―イラク最激戦地からログイン 、伊勢崎 賢治著「 武装解除」-紛争屋が見た世界、 山川 力著「 アイヌ民族文化史への試論」。
山川先生の本はある人から生前に「形見分け」みたいなものだと言われて頂いた中の一冊なんですが、アイヌ民族にも中国の少数民族にも特段の興味があったわけではないので、申し訳ない話ですが本棚に収まっていただけでした。それが今年になってチベット問題が沸騰し、次いで四川地震では少数民族地区が大きな被害を受けたりした後に今度は、去る六日の衆参両院本会議で「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が採択されたりと否が応でも引きつけられました。その少し前にはウタリ協会のアイヌ協会への改名問題も報道されていて、何か大きなうねりが感じられるのです。
北海道ウタリ協会:「北海道アイヌ協会」に名称を来春変更北海道ウタリ協会(約3500人)は、来年4月から名称を「北海道アイヌ協会」に変更することを決めた。長く差別されてきた「アイヌ」という民族呼称への拒否感が薄れたことに加え、昨年9月、国連総会で「先住民族の権利に関する宣言」が採択されたのを受け、アイヌを先住民族と認めていない政府に方針転換を迫る狙いがある。
毎日新聞 2008年5月18日
元々が1946年にアイヌ協会として発足していたのに1960年にウタリ協会と改めた経緯がある。私も何でアイヌ民族の団体がウタリを名乗るのだろうと不思議に思っていたのですが、差別と屈辱の歴史があるということなのですね。アイヌ協会に戻す決議をするときの集会の模様が放送されていましたが抵抗と疑問を表明する人たちも多そうで、未だに存在している差別の重さを感じさせるものであり、民族の誇りだけでは克服できない問題が横たわっていると感じました。
私は今、山川先生の他の著書とともにNHKで2年前に放送された「あるアイヌ(人間)からの問いかけ」という萱野茂さんのインタビューを中心とした番組のビデオを見直しているところです。二風谷は父の故郷から山一つ隔てたところなのに無関心だった自分が少々恥ずかしい。
萱野さんは「言葉は民族の精華」だと言い、明治以降の同化政策の中でアイヌ語を奪われ、民族の文化や自尊心までも奪いとられることに強い憤りを感じているさまが見て取れる。日本が朝鮮民族に強制した同化政策も、欧米諸国が植民地政策の中で強制した宗主国の言語の強制も同じで、言葉を奪うことは民族間の支配と従属の関係を端的に示すものである。
ここからはちょっと飛躍になりますが、日本の小学校からの英語教育の強制を眺めるときに日本人のアイデンティティにどんな影響を与えるのかが非常に心配になってくる。沖縄において「ヤマトンチュー」といわれアイヌ民族には「シャモ」と呼ばれる我が大和民族は他の民族の言語を奪い収奪を極めた過去を見事に忘れ去ったが故に自分たち民族の言葉「日本語」を「英語」の前にひれ伏せさせようとしているかのように思える。「日米同盟」も「幼児からの英語教育」を唱える政治家たちもその心根の底に「対米従属」の精神がある。彼らはアメリカが引き中国が出てきたら平気で「日中同盟」そして「幼児からの中国語教育」を唱えるのであろうか?
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