2008年5月 2日 (金)

「ハロー、僕は生きてるよ。」

Kasimu2

 高遠菜穂子さんのブログでカーシム・トゥルキさんの本が紹介されていたので早速読んでみました。イラクのファルージャやラマディでどんなことが行われていたのかがよく分かりますが、何より響くのは彼や高遠さんたちの心の方。私にはうまく言えません。一部を引用させてもらいます。是非手にとって全体を味わってもらえたらと思います。


平和な両手と心をもつこと

 ナホコと意見交換を始めたころ、僕は独特の文化や兵士としての思考で、心に壁をつくっていたと思う。「平和」について話すということ自体、世界を牛耳るアメリカのやり方だとさえ思っていたのだ。そのイメージが先行していたから、ナホコの話を聞いても無視していた。僕は人々を救う方法としての武力の必要性をひたすら彼女に説いた。そうして、僕たちの会話はいつも「怒れるイラク人」と「悲しむ日本人」となって終わるのだった。

 僕は「人々を助けなきゃ」、「だからこそ戦わなくちゃ」という強い思いがあった。今思えば、なんて自分勝手だったのだろうと思う。だって、僕は人々に「どうやったらあなたたちを助けられますか?」とは、一度も聞いていなかったのだから!

 ナホコはファルージャとラマディの病院を訪ね、人々に何が必要かを聞いて回っていた。そして、医薬品や医療品を苦しんでいる人々のために病院に運んでいた。

 時が経つにつれ、彼女の「平和の論理」が、僕の兵士としてのマインドの中で大きくなっていった。彼女は医者に医薬品の箱を手渡し、医者はすぐさまそれを開けて薬を取りだし、呼吸困難に陥っている小さな子どもの処置にあたった。危篤状態にあった子どもは、その後容体が安定し輝きだしたのだ。これが彼女の「平和」の論理だ。

 そう、こんなこともあった。2003年の戦争中、親友でもある戦友が負傷した。僕は銃を放り投げて彼に駆けより、出血している足をくっつけた。応急処置を施した後、彼を安全な壕の中に運んだ。重要なのは、もし僕が銃を手放さず戦い続けていたら、まちがいなく彼は出血多量で死んだろうという点だ。死にゆく彼を傍観し、彼のために報復をするのだと言って戦っていたら、彼を助けたとは言えない…。危機的状況において応急処置を施さないというのは、なんと罪深いことだろうか。

 ナホコは子どもたちが必要としている緊急支援をしていた。僕は彼らが死んだ後の報復ばかり考えていた。僕と彼女、どちらが間違っているのだろう?この点において、僕がどれほど自分勝手で、どれほど「支援」と「平和」の意味を誤解していたかを知ることになった。

 僕は、人々を支援するために両手を空けておかなければならない。僕の両手はいつも「平和」にしておかなければならない。僕の手も心も、銃で多忙にしておくべきではないのだ。ナホコは僕に人々のために役立つ人間になる方法を教えてくれた。これは僕にとって初めて、平和な両手と心が人々を真に助けるということを信じられるきっかけになったのだった。

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2006年11月20日 (月)

興味が尽きない歴史

沖縄の知事選では糸数さんが惜敗して少々落胆している。 仲井真氏も政府案は受け入れがたいと発言しているが、多分最終的にはキャンプシュワブ沖への移転受け入れをテコに公共投資を呼び込むことに精を出すことになるのだろう。この方法では田中康夫氏が指摘していたように沖縄に残るものは少なく、殆どが東京へと回流していく。民主党にも頑張って欲しいが、地元に金が残り回るような仕組みを提案できなければ沖縄県民には実際上の選択肢はないのかも知れない。基地を高く国に売りつけようと思えば反対の糸数氏よりは条件派の仲井真氏の方が適任と言うことになったのだろう。

 昨日は朝から鏑木蓮の「東京ダモイ」を読んでいた。何となく題名の語感が気になって立ち読みし一昨日に買ってきた。筋は現代の殺人事件なのですが先の大戦後のシベリア抑留体験が伏線となっている。最近騒がれた世界史などの履修逃れ問題などを考えると、果たしてどのくらいの人達がこの小説を味わうことが出来るのだろうかと考えてしまう。歴史を知っているのと知らないのとでは随分違うだろう。最近は大学生でも本を読まないそうなので、そもそも小説を味わえないことを残念と考えないかも知れないが、こんな面白いことを知らないのは気の毒と私は思う。だからといって、高校で世界史や日本史を習えばそうしたことが可能だとは言わないけれど、触発されて歴史に深入りしていくならば面白いことは幾らでもあると言いたい。

 どこの局だったろうかクリント・イーストウッドがインタビューに応じていた。私も話題の映画「父親達の星条旗」と「硫黄島からの手紙」を見ようとは考えていたので良いタイミングでした。イーストウッドの映画は好きでDVDも時々出してみるのですが、今度の映画は趣がかなり違う。栗林中将に関する話題の本も手に取ったことはあるのですが、どうも美化されすぎているような気がして結局は読んでいない。本土侵攻を一日でも遅らせるためだとしても「死なないで戦え」と言うのは食料も弾薬の補給もない中での不合理さを思うと酷さの方が先に立ってしまう。このことは戦後生まれの私には理解し得ていないことなのかも知れない。個人の意志を過大に評価しすぎるのかも知れないが、合理的に考えられる人であれば尚更「どうして?」との思いが拭い去れない。この点なども見終わってどう変わるのか自分の事ながら興味がある。

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